用賀教会の歴史

「全世界に行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい.」(マルコ16:15)

この言葉は地上に来られたイエスが再び神様のみ許に戻られるとき,私たちに遣わされた言葉です.そしてこの言葉は用賀教会の歴代の牧師が一貫して語ってきた言葉でもあります.

初代の橋本ナホ牧師(1949.5.1 – 1971.5.25)は猛烈な生き様によって知られた人です.最初の礼拝は男子三名女子四名が畳の上にまるくなって牧師と対座し,小さなちゃぶ台を講壇に見立て,「神によるのぞみ」と題する説教が行われました.「聖書を自分の目で読み,自分の足で聖書に立つ教会」を願った方です.そしてそれは「聖書正典論」を著した渡辺善太氏の親しく,又厳しい訓育によるものです.牧会者としては1958年プレスビテリアンナショナル大会(アメリカ)に参加し同席の韓国婦人に,「ゆるし難き日本人をキリストの十字架によってゆるす」と,公衆の前に呼び出されて握手を求められた強烈な経験をされました.さらに1968年には日本キリスト教団婦人専門委員会より派遣された韓国教会問安での経験からも,アジアにおける日本のキリスト者の懺悔と責任を感じていた牧師でもあります.

第二代の小泉達人牧師(1954.4.18-1971.5.25 担任~1991.3.31 主任)は副牧師在任中にアメリカに留学し,教会の地域社会に対する奉仕の姿を目の当たりにされました.帰国後,教会建築・会館建築を相次いで手がけました.エリートビジネスマンを凌ぐ能力と神学が両立した牧師ですが,風貌は良寛和尚とかアッシジの聖フランシスコを偲ばせる人でした.

第三代の大住雄一牧師(1989.11.1-1991.3.31 担任~2004.3.31 主任)はドイツ留学中に東京神学大学の推薦をいただき,学位取得後大学復帰と同時に牧師としても着任して下さいました.小泉牧師が子供好きだったこともありその意志を引き継ぎ教会学校にも力を注いで下さいました.聖書研究は若い人たちの参加も多くその結果が現在の教会学校やジュニアチャーチの隆盛につながっています.さらに真理夫人の細やかな心配りに助けられた教会員は多く,このことは2代続いた単身牧師の用賀教会にはなかったことで新しい色彩が加わりました.

現在の第四代白 正煥(ベク ジョンファン)牧師(2004.4.1~現在)は同じく東京神学大学の推挙で用賀教会に遣わされました.韓国に生まれ日本にキリスト教を布教したいとの願いが実って来日し,日本でも神学の研鑽を積み当教会着任後すでに10年が経過し現在があります.日本人の奥様との間に生まれた二人のご子息と学友やその家族を含めた近隣の交わりが教会学校を側面から豊かにしていることも今までの用賀教会にはなかった姿です.日韓の重要なキリスト教の会議の通訳やその他のお世話を通じ,日韓の友好のためにも尽力している姿は大変頼もしく嬉しい限りです.

以上,四代にわたる牧師の足跡から簡略に歴史を顧みました.この四人の牧師には共通点があります.どなたも「あなたは国を出て,親族に分かれ,父の家を離れ,わたしが示す地に行きなさい.」との,神様がアブラハムに言われた言葉を忠実に実行されました.初代の橋本ナホ牧師は用賀教会四十年史巻頭言に「行くところを知らずして」と書きました.現在の白 正煥牧師も故郷の韓国を離れ日本への伝道を決心されました.小泉達人牧師は青春時代に結核で失いかけた苦しい人生の中から神様への献身を決意されました.大住雄一牧師は遠くドイツで勉学中に見たことも聞いたこともない用賀教会への赴任を命じられこれに従いました.

牧師の取り次ぐ神様のみ言葉から私たちも又「全世界に行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」(マルコ16:15)との言葉を日々新たに聞き,それを実行することを求められています.微力ではあっても神様の言葉を聞き続け創立65周年の今,教会員一同100周年を目指して神様の導きを信じて前に進もうとしています.限りない宣教の道が豊かに恵まれますようにお祈りください.

2014年 秋